「私にとって政治とは何か」

数年前、党綱領の中期政策を補強する議論が、数年がかりで党全体で行われたことがありました(補強案は2年前に採決)。その時、補強案賛成の立場で、原稿を書きました。自分の人生を振り返りつつ、自分にとって政治とは何か、を書いたものになりました。かなり長いですが、よければお読みください。

 

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『中期政策補強について私が思うこと』

 新社会党兵庫県本部 岡崎彩子

 

1.「政策案」は、ようやく政治が自分たちにも目を向けてくれた、と感じた

 

 第 24 回定期全国大会で出され、採決を来年の全国大会へ持ち越しとなった議案第4 号・5 号、いわゆる中期政策補強案について、私の思いを語ってほしい、ということで、今日は呼んで頂きました。

 まず、正直に言うと、この政策案について「よくわからない」という声をよく聞くのですが、何がわからないのかが、わかりません。政策案の細かい点の是非は私にもわかりませんが、この政策案は、特に就職氷河期世代の私からすると、ようやく政治が自分たちにも目を向けた。憲法の保障する権利の外にいる多くの人々に目を向け、ひとりひとりが幸せに生きる社会をつくっていく、という明確な理念が出された、と感じたからです。

 貧困と格差の実態については、多くの本やメディアでも出ていますし、昨年の夏に出された、本部の討議資料『「重点政策案」「中期的政策案」の解説』にもグラフや数字で表されています。でもやっぱり、自分の事しか実感をもって話せないので、自分のことについて話したいと思います。

 

 

2.私の高校・大学時代―そして、ひきこもり

 

 高校時代の後半、進路を考えなくてはいけない時期が来ました。同世代では少数派でしたが、私は両親ともが働いており、母も女性の権利のために活動していて、私はそんな姿を尊敬していましたし、自分も将来働くことが自然な姿だろうと思っていました。しかし、私のクラスはほとんどが女子でしたが、帰国子女が多く、私よりもよっぽど勉強ができる人が多かったのですが、高校生の時点で、多くの子が「早く結婚したい」とか、結婚のことを語りだしたことはとてもショックでした。今思えば、想像できる働く女性のロールモデルがなかった、将来の希望が持てていなかった、のかもしれません。そんな中、私は 4 年制大学に進学することにしました。特にやりたい勉強、将来就きたい仕事があったわけではありませんが、世間では、高卒の就職先も狭き門で、4 年制大学に行かないと就職できないと言われていたため、なんとなく選びました。

 大学へは行ったものの、「将来条件の良い企業に就職するために、単位取得、バイト、サークルと、着々と真面目に日々をこなす校風」になじめず、結局は大学でも競争しているだけだ、と冷めた気持ちになり、私自身も女性が一般企業に就職して普通に働くイメージや夢がなんとなく持てなくなった。一方で、当時、「自己実現」「夢を追う」「成功」ということが世間で賛美されていて、何者かにならなければいけないという強迫観念もあり、(勝手に)板挟みになり、結局何者にもなれるわけではなく、自信を失い、引きこもりました。ものすごく未熟ですが。

 その間、大学に行った女の同級生の何人かは、大学生活の早い段階から、数多くの就職活動を経て、何とか東京で就職したり、ある人は空港のグランドスタッフになったりと、正規の職についた人もいますが、その多くが、結婚や出産を機に、忙しすぎて両立できずに仕事を辞めてしまった、と、しばらく後に連絡を取るようになってから知りました。非正規雇用も多いです。新卒採用の要件を失わないために、大学院進学を選ぶケースもとても多かったです。私の姉もその一人で、理系の大学に行った後、管理栄養士や旅行業務取扱管理者の資格を取り、海外に留学までしましたが、帰ってきても就職先が見つからず、奨学金を借りながら大学院に行って博士号をとりましたが 2 年契約の有期雇用の仕事については雇止めに遭い、また仕事を探す、という事を繰り返していました。

 

3.就職難の就活・あせり、新社会党の出会い

 

 私は引きこもりの間、次々と不安が押し寄せてきました。ただでさえ、就職難の中、このままでは、例えば貧困ビジネスに取り込まれたり、職を転々とする生活をしなければならなるのではないか、と身が縮む思いでした。両親に何もかも世話になっているが、両親ももうすぐ年金生活になる。年金の額も潤沢ではないのに、これ以上親の負担にはなりたくない。いずれ、看護や介護が必要となれば、その時に今のままでは、本当に悲惨だ。現在の医療や介護の制度の中では、お金がないと満足なサービスを受けことができず、答えが出ない。とにかくこのままではだめだ、と思いいたりました。

 何とか大学を卒業でき、書店でアルバイトをしながら、就職活動を始めました。大学の就職相談窓口で紹介された大手求人サービスのサイトにアクセスして、会社を選び、何社も会社ごとのエントリーシートを出しました。自分の履歴の他、「この会社を選んだ理由」とか「長所、特技」「これまでの経験で得たこと」などその都度書かなければならず、とても時間がかかったわりには、すぐにお断りの通知がきました。ハローワークにも通いました。そこでは、仕事を探す前に、「履歴書の書き方」講座を 1 日、「面接の仕方」講座を 1 日必修で受け、その後、仕事を探すが、いつもとても込み合っていて、何件かまとめて仕事を探して窓口にたどり着くまでに半日費やし、履歴書を書いて送っては落ち、を繰り返しました。いつになったら仕事にたどり着けるのか、先がまったく見えませんでした。

 派遣会社でも同じでした。大手の、大阪の会社までその都度出向きましたが、仕事を探しても、経験がないと無理です、の繰り返しでした。経験を積むために仕事を探しているのに、不条理だと思いました。自分の特技を伸ばそうと、語学学校にも通いましたが、仕事にはつながりませんでした。

 そんな中、新社会党の M さんから声をかけていただいたことをきっかけに、党で働くことになって 10 年になります。仕事は面白いですが、賃金はなかなか自立して生活するには難しく、食べるために親に支えられて暮らしています。仕事を探していた時代は、親が国民年金をかけてくれていたおかげで何とかつながっていますが、賃金の低さが年金の低さに直結していることが、財政を担当して年金の仕組みが理解できるようになって、本当にがっかりします。女性の多くが私と同じです。労働運動をしてきた親に、笑えないと反論しています。

 以上が、自分についての話です。

 

 4.時代に翻弄される若者

 

 就職氷河期世代は男も女も、自分が今いる立場は様々であれ、感じている空気感は同じ、今も逃れられていない、と思います。生きるために、何とか今の状況にしがみついているが、自分や家族の身にもし何かが起きたとき、路頭に迷う可能性がある。でも、これまで何でも自己責任でやってきたことが骨身にまで染みついているので、誰かに助けを求めるのではなく、「役に立たないと思われてはいけない」、「リスクは負えない」という強迫観念にさらされています。

 私より 10 年あとの世代は、また状況は少し違います。氷河期世代が雇用の調整弁にされ、その後売り手市場となり、就職しやすくなっているようです。正規で就職できれば、その後の年金など、受けられる社会保障も大きく違ってきます。20 代の若者の多くは、「今何とかやっていける」から、変化を望まず、自民党を支持している、と言われています。そのようなことを聞くと本当に何とも言えない気持ちになります。これまでの社会のゆがみを、氷河期世代が一手に引き受けさせられてきたのに、20 代に限らず、自分とは関係がないことには、無関心・無理解な風潮に触れると、本当に冷たい社会だ、と感じます。好きでも嫌いでもなく、関心を持たれないほどつらいことはないのですが、社会全体がそうだったら、世の中に、何の期待、信頼がもてるでしょうか。

 

5.新社会党は、翻弄される若者や非正規労働者に寄り添えたのか

 

 新社会党の政策は、これまでそのような人たちに寄り添えたものだったでしょうか。2002 年決定した新社会党綱領 21 世紀宣言と共に、その具体化を図る政策として決定された「中期政策」には、非正規雇用という言葉すら出てきていません。いろんな雇用環境が出てきて、分断が進んでいるが、資本や権力とたたかう階級闘争のためには、労働者が団結して、組合の力を増し、世の中を変えていくことだ、と書いてあります。その通りで、原則に何の異論もありません。しかし、現在、労働組合の組織率があまりに低く弱体化している社会状況の中で、時代の流れに翻弄されて、たたかう時間もお金の余裕も自尊心もなく疲弊しきっている人たち、そもそも労働運動の現場にさえ立てない人たちに、労働組合一点張りの政策は、悪魔の呪文でしかない、と感じます。ますます、政治に不信感を持ってしまうのではないでしょうか。

 今回の中期政策補強案は、まず、①生涯を通じて人間らしく生き続けることができること、②一人ひとり(個人)を単位とした制度に改めること、③一人ひとりは給付を受ける権利において平等であること、という社会保障3原則が書かれています。それは、私たち一人一人に対する、生きていてもいい、という明確なメッセージで、ようやく、政治から突き放されていた世代が、希望をもって政治を語れる言葉になると思います。

 党にそんな力はないから、当面の課題に取り組むべきという声も出ましたが、それは、今政治活動ができている人が、勝手に党の可能性を閉じるもので、まだ、世の中に新社会党の存在を知らない人が、将来党へアクセスするかもしれない道を閉ざすものだと思います。今まさに、弱者に寄り添い奮闘されている兵庫の党員のみなさんの姿そのものが、この政策案を体現していると私は感じます。そして、これからの人が、希望をもってこの政策案を広げていくから、それまで党を死なせないでほしい、と思います。

 

 

6.憲法を生かす努力を怠ってきたのではないか

 

 今に続く、若者をはじめとする政治離れにつながる大きな要因の一つに、社会党の時代から、憲法を具体的に活かした社会の展望を描き、ひとりひとりが幸せに生きるため要求をすることを、あまりにも怠りすぎてきたことがあるのではないか、とよく思います。今年の新春講演会で大内裕和教授が言われていましたが、戦後、革新勢力は、教育・住宅の脱商品化よりも賃上げ・年功序列型賃金の形成を優先させてきた。また、1985年に成立した労働者派遣法は、結果的に多くの女性を補助的労働者としかみなされない状況に追いやるもので、頑張ってたたかったが阻止しきれなかったことなどは、それを象徴する出来事に思います。

 わたしは、小さいころ、社会党が上り調子だったころでも、政治は自分たちに無関係で、希望を感じていませんでした。子供は子供なりに、社会で生きる中で、日々いろんな社会の矛盾を見、感じとっていますが、それが政治とつながることはなかったです。 思春期の頃、すでに競争社会の中で、クラスに給食費が払えない人がいたり、かたや中学受験をするために高額の塾に通う人がいる。ほとんどの友達の母親は専業主婦で、お金を稼ぐためにパートをし、子育てや、自分の親や、なぜか夫の親の介護までも妻が引き受けている。家では、共働きで活動家の両親が、家事の分担の事などで言い合いしている。仕事や組合で父親ががんばって家族が暮らしていけるかもしれないが、給料が増え立場が良くなるのは父親だけで、女性や子供の社会的立場はよくならない。子どもは学校で宿題をし、テストをがんばり、道から外れないことを期待される。進学するのに親にお金を払ってもらうことを、申し訳なく感じている。子どもは政治には関われない、政治はごく一部の大人だけのもの、という感じでした。

 そんな中、自分が政治に興味を持つ、鮮烈な出来事がありました。母が国会議員だった頃、北欧に福祉の研修に行った時です。家に帰るなり、興奮気味に見てきたことを話してくれました。「いわゆる、老人ホームに行くと、一人一人が十分に広く、嫌みなく小綺麗に飾られた部屋に住み、日々ささやかなおしゃれをして友人・知人と会う。ゆったり過ごしたり、社会運動にも積極的に関わるなどチャレンジしながら、生きたいように生きる環境を支えてくれる職員・体制があり、最後まで尊厳をもって自分の人生を過ごすことができる」と。「保育園に行くと、少人数クラスに先生がついて、子どもにその日やりたいことを決めさせ、見守る。子供の自発性が徹底的に尊重される教育がされている」。「社会人でも、教養や経験を深めるために、何時でも休職して、大学に入って勉強し、留学もできる。有給ではないが、社会保障制度が整っているのでできる」。「税金は高いが、だれもが医療・教育・介護などの十分なサービスが受けられ、税金の負担を感じていない。残業せずとも普通に暮らせて、共働きの夫婦が多いが、男女とも夕方には家に帰り、ゆったり家族の時間をすごす」と。私は、そんな社会だったらどんなに豊かでいいだろう、人が大切にされ、大切なもの同士が、家族単位の制度の中で、感じなくていいストレスや、募る大小の不平不満から最大限に解放され、誰もが一度きりの人生に尊厳をもって幸せに生きられるのではないか、と感じました。

 そして、母に、社会党は憲法を生かそうという党で、もちろんそういう政治を進めているよね?と聞くと、残念ながら、社会党はそのような政策は「社会民主主義的」で「階級闘争ではない」ので、タブー視されていると言い、心底落胆しました。それが、25 年ほど前のことでした。

 そして、今、ようやく憲法の理念を具体化させようという政策案が、新社会党からでてきた、と感じています。言うまでもなく、私にとっては階級闘争です。幸せに生きるために政治をしている新社会党の政策として、ぜひ広めたいです。