福島原発事故から12年目の被災地で、お話をお聞きしました

 531日、原発事故被害者相双の会会長の國分富夫さん(1)の案内で、福島第一原発事故で被災した南相馬市から、津波被害が甚大だった浪江町、双葉町、大熊町などを車で周り、被災地の今の状況など、お話を聞きました。

 

 

 周った場所は、原発事故に伴う帰還困難区域(※2)。放射線量が非常に高く、走る車の中からの見学でした。つつましく自然豊かな暮らしがあったであろう集落が、伸びた雑草で覆い隠されてしまっている。小さな街は、人の気配がなく静まり返っている。事故から12年目のその光景を見て、当たり前だけど、本当に人が住めない場所なのだと実感しました。

 

 

 帰還困難地域の中で、優先的に除染作業が進められている「復興拠点」があり、すでに避難指示が解除されたり、整備が進められていました。ショベルカーで建物を解体して更地にしたり、恐らく除染作業中の作業服の人々の姿が、所々見えるようになりました。しかし、更地にされた土地が一部出来てきているものの、周辺には本当に何もなく、まだまだ住めるような状況には見えません。

 

 

 國分さんは、「解除になっても、若い人は戻ってこない。戻ってくるのは、高齢者だけで、(インフラなど何もないので)高齢者も皆、高齢者施設に行こうとする。だが施設も満杯で、ある施設は500人待ちという状況。最初は、戻って商売をする人に国から補助金などが出る事もあり、復興を胸に戻ってきた若い人達もいたが、みなしょげて出ていってしまった。あまりにも人がいないからだ」と言っていました。

 最近は、避難指示が解除されると、子どももいない地域なのに、立派な幼稚園がつくられたり、休校していた小学校や高校を再編して開校される動きもあるようです。それも、わざわざ外の地域から、子どもたちを連れてきて通わせているそうです。國分さんは「なぜ、放射線量の高いここに、学校を持ってくるのか? 国や自治体のやることはわからないことだらけだ」と言っていました。

 

 

 國分さんは、福島第一原発事故直後からずっと、帰還困難区域を含む、地域の自然や居住地の放射線量を調べ続けていますが、除染は無駄だと言います。いくら、居住地周辺の土の表層を取り除いたところで、山は除染することができない。実際、國分さんや仲間の調査によれば、山の山菜やキノコ、木の放射線量は高いし、川魚は食べられる状況ではありません。雨が降れば、放射能を含む水や土壌が山から居住地周辺に流れてきています。山が事故前の状況にもどるには350年かかるそうです。

 

 

 途中、請戸漁港に寄りました。かつては北寄貝や伊勢海老、鮭の水揚げが盛んでしたが、風評被害で漁業者が激減してしまいました。そんな中、国の原子力規制委員会は5月 18 日、東京電力による福島第一原発の汚染水の海洋放出を了承しました。その理由として「汚染水貯蔵タンクを置く場所がもうないから」などと報道されていますが、そのことについてどう思うか、國分さんに聞いてみました。

 國分さんは「汚染水はこの場所に置いておく他はない。汚染されたものは、土も水も絶対に拡散させてはいけない。そもそも、置き場所がないわけではない。廃炉が決まっている福島第2原発の敷地は、もともと陸軍の土地だった場所で、広大な空き地がある。国や東電が海洋放出したいのは、それが一番安上がりだからだ」と言われていました。

 

 

 案内の最後に、國分さんの幼馴染で、南相馬市小高区でバラ園を営む「横田のバラ園」さんに連れて行ってもらいました。横田さんは、もともとサクランボや梨など果樹園を営んでいましたが、原発事故で農地が汚染され、果樹園を断念。仕事をやめ夫婦で暮らしていましたが、生き甲斐をなくしたことで、ふさぎ込む日々が続いていました。

 しかし、周囲の助言もあり、果樹園が再開できる日まで、畑を死なせないように何かしよう。ちょうど、お向かいさんがバラの苗の販売業者で、その業者さんから、ありったけのバラの苗の寄付も受けて、バラを育ててみようと決心されたそうです。大好きな農作業も再開しバラが美しく咲く様子を見て、横田さんも少しずつ元気を取り戻され、ちょうどバラ園も形になって、最近では見に来てくれる人も増えているそうです。

 

 

 國分さんも言っていました。原発事故前は、夫婦と娘家族で暮らしながら畑をし、日常的に山菜を取りに行ったり、ご近所の人が来てお茶を飲んで語り合ったり、地域の行事も楽しみで、ささやかながらも地域の自然や文化に根差した幸せな生活があった。だが、事故ですべて奪われてしまった。それが、何より辛くて苦しいことだ。みな同じ思いだ、と。私は美しいバラ園を見ながら、故郷や心の拠り所が奪われたら、どのような手を尽くしても二度と元には戻らない、だれも責任を取ることが出来ない。人間の手に負えない原発は本当にあってはならないと思いました。

 そして、今、国や東電がやるべきことは、廃炉作業に徹すること。そして、起こした事故と真摯に向き合い、被災者がどのような選択をしても、その選択を支援することに努めることしかないと思いました。

 

 

 

(1)國分富夫さん・・・震災の前は、家族とともに南相馬市小高区で暮らしていましたが、原発事故で被災。2012年、東電の責任を追及するため被災者の集団訴訟に参加。原告団副団長も務める。現在は、相馬市で暮らす。

 

(2)帰還困難区域・・・避難指示区域のうち,5年間を経過してもなお,年間積算線量が20ミリシーベルトを下回らないおそれのある,現時点で年間積算線量が50ミリシーベルト超の区域である。同区域は将来にわたって居住を制限することを原則とし,同区域の設定は5年間固定する(「内閣府防災情報」のWebサイトから引用)。